すでに新聞紙上などで報じられたように、父・紅野敏郎が10月1日、午後11時21分、肺炎のため亡くなりました。ちょうど9月10日の朝、母親の診察につきそうはずの父が数日前から夏風邪でおかしいということで、一緒に診察をしてもらおうと車に乗せていったところ、そのまま緊急入院となりました。当初はレントゲン結果から軽度の肺炎で7日〜10日程度の入院加療ということでしたが、その翌日に病院から緊急呼び出し。1日で肺炎が劇症化し、重態だとのことでした。すぐに病院にかけつけ、その後、家族が交代で病院に寝泊まりする日々へ。1週間ほどその状態が続きました。やがて強いステロイド剤が効いたらしく、炎症がおさえられ、酸素マスクも外れて自力呼吸ができるほどになったのですが、それもつかのま今度はべつの感染症からふたたび肺炎が悪化し、最期となった次第です。20日間の闘病は短かったともいえますし、家族としては密度が濃く、長かったようにも思います。享年88歳。8月末まで仕事をしていましたから、十分にやりつくした人生だったと言ってもいいかもしれません。
なかなか個性の強い人で、当然ながら家族のなかでいろいろな対立や意見の衝突もありましたが、最後の数年はずいぶん変わってきたなと感じられるところが多くありました。いまとなってはもう少し話をしたかったように思います。いずれにしても、生前の父がみなさんからたまわったご厚誼、ご厚情に御礼を申し上げます。ありがとうございました。
早稲田で河野先生のゼミの生徒でした。卒業してからも交流させていただき、5,6年前には奥様と3人で森光子の「放浪記」を観賞しました。食事をして、林芙美子のお話を聞きました。そのときの先生と奥様の優しい笑顔がわすれられません。河野先生の、伸びやかな大きなお人柄が大好きでした。心よりご冥福を祈ります。合掌。
投稿情報: 笠井泉 | 2010年10 月15日 (金) 14:40
紅野敏郎先生の日本近代文学の一連の講義を、40年程以前にNHKのラジオ(第2)で聞きました。最近は、<学燈>の連載を楽しみに読んでいました。お父さまの学恩は大変に大きいです。御冥福を心から祈ります。
投稿情報: ひでほ | 2010年10 月14日 (木) 18:00
紅野敏郎先生にお目にかかる機会はついにありませんでしたが、多くの偉大な業績からたくさんのことを学ばせていただきました。
長い長い碩学の人生に心よりの敬意を捧げたいと思います。
本当にありがとうございました。どうか安らかに。
投稿情報: 池内先生門下生 | 2010年10 月13日 (水) 04:34