浅岡 邦雄: 〈著者〉の出版史―権利と報酬をめぐる近代
浅岡さんの著書がようやく出た。副題には「権利と報酬をめぐる近代」とあり、帯には「作家の経済事情」と記されている。職業としての文学を考えれば、メディアや出版社との権利や契約関係が重要になる。近代的な法意識が芽吹いていない時期から、やがて出版市場の拡大時期になって当然ながら変化していくことになる。そのとき版権の問題がどうなったか、作家と出版社の契約はどうだったのか。『西国立志編』や『一年有半』などを例にした分析と、小杉天外、岩野泡鳴、籾山書店などをめぐる分析がくりだされる。実証に基づく推論は禁欲的すぎるほどだが、従来の文学研究にはカバーし得なかった領域が浮上してきたということだろう。
真銅 正宏: 永井荷風・ジャンルの彩り
真銅さんの荷風についての二冊目の論文集。荷風のさまざまな文体について書かれた4篇と、人情話や花柳小説、散策記、随筆的小説などジャンルごとに論じた11篇からなる。こうしたテーマ設定と構成力のうまさは、師匠の野口武彦さんからの遺伝でしょうか。たしかに荷風ほど、意識的・方法的な作家はいなかったかもしれない。同時に、こんなにいやらしい、つきあいにくい作家もいなかったろうと思います。それを真銅さんは荷風という作家の物語生成に吸い込まれるといった言い方で批評的にとらえていて、文学的な資産としての永井荷風テクストの利用法を提示しているのです。荷風を読んで、文学におけるジャンルを学べ。本書のテーゼはこれです。
竹内 栄美子: 戦後日本、中野重治という良心 (平凡社新書)
中野重治が気になる作家のひとりであることは確かなんだけれど、どうもまだ腑に落ちないことがたくさんある。中野重治を尊敬していた宇野重吉が名優であることは間違いないが、宇野重吉を名優ということですませられるのかというのと同じ。偉いし、確かに書いているものもいい。しかし、そう言ったら違う気がするのです。なんだか学者とも思えない口上だけど、中野にはそうした割り切れなさがある。今回の竹内さんの本は題名からしてそういうぼくの期待とは違うけれど、中野がもたらす魚の骨がノドに刺さった感じをあらためて意識させてくれました。いつか、どこかで中野重治を論じる、そんんな予感を覚えました。
前田塁: 紙の本が亡びるとき?
前田塁(市川眞人)さんの第2評論集。刺激的なタイトルに見られるように、紙の本が大きくその存在形態を変えようとするときに照準を合わせ、その変換をかぎとった作家の小説や、実際の印刷・出版状況への取材や批評をちりばめた一冊。この「あとがき」にほんの少し僕も登場するのだけれど、今後、紅野謙介は前田塁をかつて教えた人として記憶されるのかも(!?)。
五味渕 典嗣: 言葉を食べる―谷崎潤一郎
五味渕さんの谷崎論がようやく出ました。出る、出るとは聞いていたけれど、世織書房だからほんとに出るまで心配でしたが、ようやく出た。五味渕さんの谷崎論はテクスト分析のかたわら、いかにテクストの言葉を外の言葉に接続し、それによってテクストのなかでの意味作用にブレを生じさせるところにある。『三田文学』で学生時代にデビューして以来の進化をここにたどることができるだろう。近代文学研究を目指す人は必読です。
谷口 基: 怪談異譚―怨念の近代
このあいだ山田風太郎論などをまとめた谷口さんの新著。今回は「怪談」やホラー小説を論じたもの。三遊亭円朝の怪談咄から始まり、漱石「琴のそら音」、コロニアリズムの痕跡などがたどられる。円朝の復活は昨今の落語人気とも関係するかも知れないが、全集刊行のうわさも聞いた。桂歌丸も怪談をよく高座でやっているが、若手落語家も円朝にとりくんでみたいと語っているのを聞いたことがある。こうした動きを社会心理学的に読み解くのはなく論じてみたいものだが、谷口さんのいう「怨念」と「近代」のあいだにはさまってるものが大事ではないかと思う。それにしても中川さん、佐藤さん、谷口さんと三冊つづけて立教出身者。太宰研究の松本さんといい、立教勢が元気だ。
佐藤 秀明: 三島由紀夫の文学
佐藤さんのこれまでの三島論をまとめた本格的な論集。「岬にての物語」から「豊饒の海」までの個別の分析からなる19篇と、それ以外の8篇から成る。これまで三島由紀夫を面白いとは思いながらも論じることがなかったぼくからすると、なぜ三島を取り上げてこなかったのか、取り上げたくないのかについて考える機会ともなった。その点からすると後半の8篇から読み始めた。文学への愛憎や野坂昭如との対照、「金閣寺」の創作過程など、いろいろな切り口が示されていて、現在の三島研究の水準がよく分かる。試論社という出版社から出ているが、表紙の画像がないのが残念。(と書いたら画像が出るようになった。良かった、良かった。)
中川 成美: モダニティの想像力―文学と視覚性
視覚性をキイワードに一葉、漱石から現代の文学・文化までを一気に走り抜けた中川さんの新著。佐多稲子の「キャラメル工場から」に出て来るひとりの少女のすがたから論が始まる。ラーメン屋で住み込みで働いている彼女が小学校の先生の手紙をにぎりしめて便所に隠れて泣くシーン。こういう情景を思い浮かべる読者の「文学的想像力」が本書の主題。さまざまな知見や情報がちりばめられているが、中川さんの情動の核心にあるのはこの想像力だろうと思う。そういう少女のすがたを思い切り洗練してしまうところにたぶん本書の特徴がある。
十重田 裕一: 「名作」はつくられる―川端康成とその作品 (NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学の世界)
川端康成という作家はこれまで末期の眼とか無常観とか、美学的にばかりとらえられてきて、そうした研究が飽和状態になったとたん、勢いがなくなってしまった作家。そんななかで十重田さんがNHKのラジオ講座のかたちで川端研究をまとめました。平易なかたちで川端の「つくられ」方をトレースし、いかにして文豪川端が成立したかを論じています。山本芳明氏の名著『文学者はつくられる』(ひつじ書房)が思い出されますが、しかし、「つくられる」話というのはどこか寂しい気持ちが残るのも否めません。「あ、そうか、ぼくたちつくられたんだね」となるからです。構築主義と主体論の切り結ぶところを、今度は十重田さん得意の『文藝春秋』の読者戦略と合わせて読ませてほしいな。
中島 礼子: 国木田独歩の研究
作家研究の壺に入ると、いっけん小さな壺であっても、無限になかが拡がっていくように感じることがある。中国の故事にいう「壺中の天地」とはこういうこと。ここにはまると出られない。怖ろしいが、研究者にはそういう勇気ある人が何人かいる。中島礼子さんもそのひとり。今回、国木田独歩の研究でその中島さんによる670頁もの大著が登場した。もちろん、これだけで終わるわけはない。天地の一角を解明したということであろう。かくして壺中の天地を測量する伊能忠敬となる。倒れたら、また誰かが引き継ぐであろう。そういうむやみな信念がないと作家研究はやれないのである。
和田 博文ほか: 言語都市・ロンドン―1861-1945
和田さんたちの「言語都市」シリーズは、上海、パリ、ベルリンと来て、今度はロンドンとなった。今回は漱石も留学した先だから、680頁以上の分厚い大著。ゆまに書房の「コレクション・モダン都市文化」60巻も和田さんの編集だし、もはや近代文学研究の「百科全書派」とでも呼ぶべきかもしれませんね。到底、真似のできない世界なのだが、この「言語都市」シリーズもこうなったら世界一周を目指してほしい。ニューヨークにも行ってほしいし、モスクワ、北京、奉天、ハルピン、ソウルぐらいまでは可能じゃないかな。
- 西村 好子: 寂しい近代―漱石・鴎外・四迷・露伴
もう25年ぐらい前になるけれど、文学研究の世界をのぞきかけていた時期に『日本文学』に「二葉亭四迷と俳諧」や幸田露伴の「一国の首都」論が載って、こういうテーマでやっている研究者がいるんだと新鮮に思った。それが西村好子さんだった。その西村さんの二葉亭、漱石、露伴、鴎外をめぐる論文集が出た。相馬庸郎さんの推薦文が帯についているが、神戸大学の出身ということだから、猪野謙二さんつながりでもある。近代以前の文化的伝統との連続・非連続を考えていこうとする姿勢がこの本にも一貫して流れている。
松本 和也: 昭和十年前後の太宰治 〈青年〉・メディア・テクスト (未発選書15)
太宰治の復活が続いている。オープンキャンパスでも訪れた高校生が手に取る最初の複製本が『人間失格』。その太宰研究で新生面を切り開いているのが松本氏。その単独著が出た。若手研究者の論文集『新世紀 太宰治』(双文社出版)の編者でもあり、いまや八面六臂の活躍ぶりだ。源氏ブームとの差異化を目指す著者は、生誕百年ブームそのものをも批評しながら、「太宰治」という現象をとらえようとしている。勢いがあっていい。副題のような三並びの命名はぼくもよく使うのだけれど、ただ「〈青年〉」のようにそこでまた〈 〉をつけるのは感心しないな。
谷川 雁: 谷川雁セレクション〈1〉工作者の論理と背理
岩崎稔さんと米谷匡史さんの編集で谷川雁の2巻本著作集が出ました。1巻目の解説が佐藤泉さん、2巻目が仲里効さん。50年代の左翼運動への再評価が最近進んでいる。谷川雁はぼくらの年代にはもはや伝説の人でしたね。現在進行形ではほとんど読むことはないけれど、吉本隆明や森崎和江、石牟礼道子を読むときにその影を見たと言いましょうか。詩人=運動家を生きて、まさにハートを撃つような言葉を組み立てるところなぞ、革命的コピーライターだったように思います。
谷口 基: 戦前戦後異端文学論―奇想と反骨―
「新青年」の作家たちを初め、山田風太郎などのミステリーを研究してきた谷口基さんの初の論文集。渡辺温、橘外男、小栗虫太郎、角田喜久男といった作家たちが「異端文学」として再評価され、横溝正史や江戸川乱歩らは文壇との交錯や戦争協力の問題から分析されるなど、新しい視角が展開されている。「奇想と反骨」という括り方には異論もあるけれど、文学研究の1つの里程標として意味があると思う。
山崎 一穎: 鴎外ゆかりの人々
山崎さんの大著が出た。鴎外研究者として知られている山崎さんだが、今回、収められているのは山口秀高や長井金風、平出修から澁江保にいたるまで、鴎外に関わりの深かった人々の評伝である。これらの文章が発表された『評言と構想』は山崎さんはじめ、栗坪良樹さん、日高昭二さん、曾根博義さんたちがやっていた研究同人雑誌。大学院のころもっとも刺激的な研究誌で、当時は学会誌など目じゃなかった。そこに載っていた山崎さんの評伝は鴎外の史伝をひとつの方法として鴎外ゆかりの人々を探るというたいへんな試みだった。それが30年近いときをへてまとめられたことを感慨とともに喜びたいと思う。
- 西川祐子・杉本星子編: 戦後の生活記録にまなぶ―共同研究 鶴見和子文庫との対話・未来への通信
京都文教大学の鶴見和子文庫をもとに鶴見が戦後手がけた生活記録運動の歴史とその意味を問い直した論集。「山びこ学校」について無着成恭について中谷いずみさんと榊原理智さんがインタビュー。ほかに中谷さんの「メディアの中の綴方・生活記録」という論文を収録している。晩年になって短歌と着物の着こなしで注目を集めた鶴見和子だが、こういう共同研究によって見えてくるものが多い。情報量多し。
Atsuko Ueda: Concealment of Politics, Politics of Concealment: The Production of "Literature" in Meiji Japan
プリンストン大学の上田敦子さんの本が出ました。もちろん英文。題名を訳すと「政治の隠蔽、隠蔽の政治 明治日本における『文学』の成立」とでもなるでしょうか。江戸から明治にかけて西欧のNovelにあたる「小説」の形成過程をさぐっています。坪内逍遙「小説神髄」、滝沢馬琴の評価、アジア主義言説の台頭、「佳人之奇遇」などが取り上げられ、題名にあるとおりその形成においてどのような社会的政治的な力学の構図があったかが論じられています。ぼくもこれから読み始めます!
神田 龍身: 紀貫之―あるかなきかの世にこそありけれ (ミネルヴァ日本評伝選)
古典文学のなかでも奇想物語にこだわる神田さんが紀貫之の評伝を書くという予想外の組み合わせにまずびっくり。しかし、「土佐日記」の著者にして、勅撰和歌集の創始ともいうべき紀貫之の内実にじっくり迫って読ませてくれます。そのむかし院生時代、神田さんとはドイツ語のクラスで席を並べた仲ですが、話の引き出しがたくさんあって自由自在。そのときの記憶がこの本からも甦ってきました。
ミシェル・ビュトールほか: 早稲田文学 2号
雑誌「早稲田文学」2号が出ました。今回の特集はヌーヴォーロマンのひとりM・ビュトールの特集や川上未映子の朗読など画像DVD付きという豪華版だが、それとはべつに「小説・批評・メディアの現在と未来をめぐって」という10時間連続シンポが面白かった。このところ現代の文学シーンからは遠ざかっていたので、背景や文脈が見えてきたのもよかったけれど、東浩紀らの位置や志向も分かった。それにしてもフリーペーパーのWBを初めとして市川編集長のすさまじい奮闘ぶりに声援を送ります。
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